ステキな英語教育

「病弱でいじめられっ子を救ったステキな英語教育」#1 英語は命の恩人

まえがき

約20年の海外生活を経て、私が再び日本に戻ってきたのには大切な理由があります。正直、人生の多感な時期を過ごしたアメリカで骨を埋めるつもりでした。

大げさではなくて、その道しか考えられませんでした。だって、私は日本の義務教育を受けていないし(日本の小学校中退)、帰国した当時は、日本に友達の一人もいませんでしたから。

人生初、究極の選択でした。ただ、私には一つ、日本でやりたいことがあったのです。

それは、オーストラリアやアメリカの教育のすばらしさを、一人でも多くの方に伝えること。それが私にスペシャルな人生を与えてくれた祖父母、両親、先生方、そして神様への感謝だと考えたからです。

今回ご縁のあったCafetalkの皆様にも、これからコラムを通してお話させていただきたいと思いますので、ご興味のある方は是非、読んでいただけると嬉しく思います。

英語は命の恩人:第1段 お気に入りのおもちゃ?

当時2歳半の私。腎臓の重い病気で、家族にかなりの心配をかけていたい時代。週に1度は病院に運ばれていたかな。看護師さんがお友だちだと思い込んでいたくらいですから。

食事制限や運動制限があったため、普通の子どものように外で遊んだり、おやつを食べたりすることもNG!だから、遊び方を知らなかったみたいですね。祖父母や両親がおもちゃを与えてくれても、あまり喜ばない子だったそうです。

でも、たった一つ自分から進んで手に取っていたのが英語の教材。教材といっても、その時はおもちゃだと思い込んでいましたけどね。うまい具合に教育されていたんだなぁと、今になって「母は凄し!」と思います(笑)毎日、開けても暮れても、飽きずに英語のおもちゃで遊んでいました。

3歳にもならない時なのに、今でもしっかり記憶に残っているんですよね。カードをスライドするとカエル君がbellybutton!(おへそだよ!)と、へそを見せて言ったり。レモンをかじって、超酸っぱい!って顔をしている男の子がlemon!(レモンだよ!)と言ったり。

すごいでしょ?覚えているんですよね。子どもの記憶は凄いと思います。

そんな微妙な形で私の英語人生が始まったわけですが、当時はとにかく病弱で死ぬか生きるかだったので、親は特に大きなことは求めていなかったそうです。ただ「命さえあれば」、そして「命がある間だけでも、たくさんの経験をさせてやれれば」と思っていたそうです…

To be continued(次回へつづく)